しあわせ

ちはやふる25巻を読んでカッとなって書いたやつ。pixiv再録。

 

 

 他人から何かを貰ったことなんて、生まれてこの方何度あっただろうか。初めてはこの世に生まれたこと。2度目はかるたと出会い、おばあちゃんに言葉をかけられたこと。3度目は――?
「詩暢」
 母さんの声。意識がすっと現実へ引き戻される。
「この前の襷やけど、お母さんが新しいもの繕っといたから前のは捨てとき」
 札とわたしの側にある、不格好な、千早がくれた襷を一別して母さんは笑う。ついこの前のクイーン戦からこの襷がなぜか手放せなかった。
「クイーンがこないなもの持ってたら笑われてしまうわ。ましてや詩暢は若宮。あの子には悪いけれど、もっときちんとしたもの持たんとねえ」
 母さんが綺麗に繕った絹の襷と千早の切って結んだだけの襷を取り替えようとする腕をつかんだ。母さんはとても驚いた顔をした。
「何、詩暢。腕を放しなさい。こんなもの大事に持っているところ、母さんに見られでもしたら」
「私が何ですか、志穂さん」
 母さん、と母が息を呑む音と襖のきしむ音が聞こえた。講演会を終えたおばあちゃんが襖の間に立っていた。黙る母を余所目におかえりなさいと小さくつぶやけば、ただいま帰りましたという言葉が帰ってきた。おばあちゃんの目が私がつかんでいる母さんの腕に行く。
「どうしたんです」
「かるた用に新しい襷を繕ったので、古い襷を捨てようとしたんやけれど、詩暢が……」
 すうっと腹の底が、冷えていく。そこから身体に伝播するように、脳から、足の先まで、冷えていく。
 母さんのこういうところが昔から嫌やった。自分の感情の原因を私に押しつけて、私が原因かのように言い繕うところ。違う、違うんやと叫んでおばあちゃんに訴えることができてしまえればどんなに楽か。そんなことできるはずもない。私は力のない、かるたしか友達のいない、ただの小さなこども。かるた以外に初めて出来そうな友達を取り上げられそうになっても、何もいえない、力のないこども。
「そうやの、詩暢さん」
 おばあちゃんの声に弾かれるように上を向く。きちっと視線がおばあちゃんと合う。おばあちゃんは私を見ている。私の言葉を、聞いている。
「……その襷は、千早から貰ったものです。ただ布を裂いて結んだ襷です。でも私には大切なものです。不格好でも、恥曝しでも、側にあったら自分の芯が太くなるようなものです」
 不思議と、おばあちゃんと向き合っているときは楽に息が吸えた。言葉が素直に紡げた。母さんと向き合っているときは、何を言っても母さんの都合のようにねじ曲げられてしまうから口を噤んでいた。おばあちゃんは違った。正面からわたしと向き合ってくれた。だから私もおべっかを使わず言葉を素直に返すことが出来た。千早と話すときの感覚と同じもの。
「そうですか」
 おばあちゃんは、私の言葉を受け止めたうえで、はっきりとした言葉を返してくれる人だった。
「それならば尚更、自分の手できちんと繕いなさい。大事な千早さんからもろうたものなのやろ」
 繕い方がわからなかったのなら、私が教えて差し上げましょう、とおばあちゃんの言葉を聞いた母さんの表情は笑いものだった。こういうところも含めて、わたしはおばあちゃんが好きなのだろう。
 わたしの中での家族といえる近しい存在は、かるたと、おばあちゃんと、あと一人。あと一人は家族とも、友達とも、ライバルともいえる人。
 次はいつ、会えるだろうか。
 襷を縫う針のすすむ手に、想いながら繕っていく。