お姫様、日本へ行く

サイト及びpixiv再録。

 

 

 越前リョーマは物心がついたころにはテニスをしていた。テニスを始めた理由など問われても答えることはできない。ただきっかけは父親が世界でも指折りのプロテニスプレイヤーだったことであろう。リョーマの父親ーー越前南次郎は将来有望であったにも関わらず早々にプロテニス界を去り、日がな一日娘にテニスを教えていた。元から頑固な性格であったリョーマはその気になればいつだってテニスをやめることはできた。それをしなかったのは彼女が頑固な性格の前に人一倍負けず嫌いであったことと、ただ単にテニスが楽しくて大好きだったからであろう。 
 毎日南次郎相手に練習をしているからか、もしくは越前リョーマが天性のテニスプレイヤーだったのか、彼女はめきめきと実力をつけていき、大会に出ては必ず優勝をもぎ取って行った。南次郎以外の人とプレーする時は、同級生かつ同性ではもはや相手にならないから、という理由で年上の男相手にプレーしていた。リョーマ自身名誉のためにテニスをしているわけではなかったので公式戦で男と対戦出来なくても不満は無かった。試合で感じることのできる駆け引き、スリル、高揚感を味わえることが出来ればそれで良かった。リョーマが6年生になる頃にはアメリカのジュニア大会を4連続で優勝し、同年輩では性別問わず敵無しの状態となっていた。 
 3月某日、いつもと同じように南次郎とテニスをしようとリョーマがリビングの方へ顔を出すと、平日の夕方前であるのに母親の倫子がいた。 
「母さん、珍しくない?こんな早い時間に家にいるなんて」 
リョーマ、丁度いいところに来たわね。ほらあなた、リョーマが来ましたよ」 
「ん、おお!来たかチビスケ!」 
 チビスケは余計だ、と思いつつも言い返したらまた別の文句を言ってくることは予想できていたので何も返さず椅子に座る。ソファーにごろりと寝転がっていた南次郎はリョーマの淡白な態度にもニヤニヤとした顔を変えず、こちらの方へやってきた。 
「で、何なの。2人揃って」 
 未だニヤニヤとしている南次郎の顔を睨みつけながら問う。 
リョーマ、お前4月から日本の中学校に通うことになった!」 
「ハァ?」 
 予想していなかった言葉に目を丸くする。その様子を見た南次郎はさらに嬉しそうにニヤニヤと顔を歪める。隣で呆れたようにため息を吐いた倫子が南次郎の後を引き継いで説明する。 
「あのね、リョーマ。お母さんの仕事の都合で急遽日本に帰国しなければならなくなってしまったの。単身赴任も考えたのだけれど、あなたとお父さんの2人じゃ心配だし…。それにお父さんの仕事も日本の方で決まったみたいだからどうせならリョーマも一緒にと思って」 
「本当に急だね。日本に行くのは別にいいけど、学校とかどうすんの?オレ日本語苦手なんだけど」 
「あっちでは丁度4月から学校がスタートするから、それに合わせて中学校に入学したらいいわ。言葉の面は一応帰国子女、ってことで多少は考慮されるでしょうけど、入学するまでの間勉強が必要ね。幸い従姉の菜々子さんっていう大学生の人が居候するらしいから、早めに日本に行って家庭教師してもらいましょう。来週末には帰国することになるだろうから荷物をまとめたり、お友達にお別れ言ったり、帰国する準備を整えていてね。」 
「わかった」 
 唐突に告げられた事実にリョーマはさしてショックを受けなかった。はじめは驚いたが、別段この土地に執着心などない。生活の全てがほぼテニスなリョーマはテニスさえできればどこでも良い。ただ荷造りや日本語の勉強は面倒で、今からどうやって手を抜きつつやっていこうかということに考えを巡らせた。 
リョーマ」 
「……何」 
 倫子が説明している間もずっとニヤニヤとリョーマの顔を眺めていた南次郎が声を発した。 
「お前があっちで通うことになる学校は俺の母校だ」 
「親父の?」 
「ああ。俺が中学時代テニス部だったときの顧問のババアが今でも顧問をやってるらしい」 
「へえ」 
 リョーマの目が爛々とかがやく。先ほどまで全く関心の無かった日本に俄然興味が出てきた。 
「強いの?その人」 
「もうババアだからプレーするのは無理だろ」 
 その事実に少し落胆したが、それでもこの父親の面倒を見ていた人ということには変わりない。大会4連覇も達成し、同じ相手ばかりで段々物足りなくなっていたこの頃。日本に行くことは刺激になるかもしれない。父親の顧問だったということは男子テニス部の顧問なのだろう。リョーマは女子であるから男子テニス部にははいれないが、それでも同じ学校にいることには変わりない。男女テニス部間でも交流が無いとは思えないし、きっとどこかで接点があるだろう。試合前の高揚感のようなものが徐々に湧き上がってくる。 
「ってことでリョーマ、お前あっちでは男子テニス部に入れ」 
「ハ?」 
 全く繋がっていない文脈で本日2度目の驚愕をさらっと落としていった。となりの倫子に目をやるが、彼女は苦笑して、テニスの話になるとわたしにはどうもできないわ、というようにこの場を立ち去っていった。薄情者。 
 ……これは自分でツッこまないといけないのだろうか。 
「親父、俺女なんだけど」 
「んなことは知ってるよ」 
「だから男子テニス部には入れないんだけど」 
「入れるじゃねーか。マネージャーとして」 
 ハァ? 
 自分の目の前にいる父親は頭が沸いてしまったのか。卑猥なことを考えすぎてついに脳みそが溶けてしまったのだろうか。テニスをしている時以外はほとんどいやらしい本を読んでいる南次郎のことだ。きっとそういうことでいっぱいになってしまい、本来必要な機能を失ってしまったのかもしれない。 
 まるでゴミクズを見るかのような蔑むリョーマの視線に気づいた南次郎は、だらけきっていた顔をいきなり引き締めた。 
「俺は本気だ」 
 何時にない真剣な表情にリョーマは言葉をぐっと飲み込むしかなかった。とはいっても不満の表情は隠しきれず、それを見た南次郎は盛大にため息をついた。 
「これは決定事項だからな」 
 そう言ってさっさとどこかへと行ってしまった。 
 膝の上にのせられたリョーマの拳は固く握り締められていた。 


(親父は何故いきなりマネージャーとして男子テニス部に入れって言ったんだろう) 
 荷造りをしても日本語の勉強をしても、テニスをしているときすらもあの日のことが頭によぎって集中できなかった。母親には帰国の準備が進んでいないと怒られるし、リョーマを動揺させている帳本人の南次郎にはプレーに集中していないことを見抜かれ呆れられるしで散々だった。 
 何度もあの日南次郎が言ったことについて反芻していた。1番考えられる可能性としては南次郎がリョーマのテニスに見切りをつけたということ。それでなければ怪我もしていないリョーマをマネージャーとして入部させる意味がわからない。父親の期待などリョーマにとっては関係ないことだったが、一方的に限界を決めつけられ、テニスをする術、時間を奪われることに対しては納得がいかない。まるで告白もしていないのに振られてしまったような気分だ。日にちが経っていくにつれて、驚愕でフリーズしていた頭が動き出し、次第に身勝手な父親への怒りもふつふつと湧いてきた。 
 日本に帰国する3日前、倫子と南次郎がリビングでくつろいでいるところにリョーマは現れて言った。 
「俺、親父の母校に通うつもりないから」 
「なーに言ってんだチビスケ。もう手続きも始めてるんだよ」 
「そんなの知らない。俺は自分の行きたいところに行く」 
 ばさり、と南次郎の方にあるものを投げつける。父親の言いなりになってたまるものかと憤慨したリョーマはここ数日インターネットで日本の中学校について調べて、テニスの強い中学をピックアップしていた。その中には南次郎の母校、青春学園も名を連ねていたが南次郎に反抗するためにやっていたことなのでこちらは早々に除外した。地理的位置、カリキュラムなどを考慮して最終的に絞り込まれたのが聖ルドルフ学院中学校だ。南次郎に投げつけたものは聖ルドルフのホームページからコピーしてまとめた資料だ。 
「俺聖ルドルフに行くから。そっちだと今からでも推薦で行けそうだし。創立して間もないし、テニス部も強くないみたいだけど周りには強い学校、結構あるみたいだからストテニとかで強い相手と練習できるだろうし」 
「ほぉ~?」 
 南次郎は資料を手にとって1枚1枚ぺらりとめくっていく。その様子をじっと見つめる。最後まで読み終えた南次郎は資料から顔を上げてじ、とリョーマを視線で射抜く。あまりの強さにリョーマはひるんだが、父親への反抗心のおかげで目を逸らすことはしなかった。 
「俺には青学に行くのが嫌だから無理やり別の学校探した、って感じにしか思えないけどな」 
 図星をさされて何も言えなくなった。いつもはちゃらんぽらんな父親なのに変なところで鋭い。図星みてぇだな、ニヤリと顔を歪める。リョーマの1番嫌いな表情だ。 
「なーにが嫌なんかねぇ。今年の青学男子テニス部はかなり強いらしいぞ?全国制覇も夢じゃねーとかババア言ってたし」 
「ッ、いくら男子テニス部が強くたって俺は女だ!マネージャなんて雑用するだけで試合できないし、入っても意味ないだろ!」 
 溜まりに溜まった鬱憤を晴らすように大声で叫ぶ。普段クールなリョーマが――といっても表面的にそう見えるだけで実は内に熱いものを秘めているのだが――大きな声を出したことに驚いたのだろうか、両親はどちらもポカンとしていた。 
「あなた、まさかリョーマにあのこと話してないの?」 
「いや、話したと思うが……アレレ?」 
 こそこそと2人で何か話している。沸点が最高潮に達しているリョーマにとってはそれも苛々を煽る要素となった。 
「おいリョーマ」 
「何!」 
「お前何か勘違いしてねぇか?」 
「何を!」 
 がつがつがつがつ。リョーマの苛々に比例してつま先で地面を叩く音が大きくなっていく。 
「マネージャーつったって試合に出れないって訳じゃねェんだぞ?」 
「……は?」 
 いや、だからと言葉を続ける南次郎。 
「お前こっちでジュニア大会4連覇したし、今じゃ年上の男相手に練習する有様だ。日本で女子と試合してもぶっちぎりだろうし、何よりお前のためにならねぇ、って特例で男子の方に出場してもいいって許可が出たんだよ。中学生だったらまだ性別で体格差は高校生ほどないだろう、ってこともあったらしくてな」 
 衝撃の発言にリョーマの頭はフリーズする。 
 自分がこの何日か真剣に悩んだ時間はなんだったのか。やるべきことを放り出してまで中学校探しをした時間はなんだったのか。テニスに集中できず楽しんでプレーできなかったことはなんだったのか。それは全てこの男の説明不足のために無駄となってしまったのだ。 
 あまりにも長い間固まっているリョーマに心配になってきたのか、珍しく慌てたように全ての元凶である男がリョーマの名前を呼んでやる。 
「こんッッのクソ親父!!!!!!!」 
 全ての憎しみを腕一本に込めて、男の顔へと怒りの一発を放つ。 

 手の形はパーではなく、もちろん、グーで。 


(2012.10.11)