相互依存

サイト及びpixiv再録。淳と裕太が、淳がルドルフに来た経緯について話すだけ。

 

 

「あれ、どうしたの。珍しいねこんな時間に一人で」
 午前2時半、聖ルドルフ男子寮の娯楽室。なんとなく寝付けなかった裕太はそこでぼんやりとテレビを眺めていた。そこに現れたのは同じテニス部の先輩、木更津淳だった。 
「ちょっと寝付けなくて。木更津先輩こそどうしたんですか、こんな時間に」 
「僕はちょっと小腹が空いてね。夜食でも食べようかなと思って」 
 そう言って裕太の隣へと座る。裕太も食べる?と手に持つお菓子を一つ差し出された。ありがとうございますと言って受け取る。どういたしましてとお菓子の袋を開け始める。それに倣って裕太もお菓子の袋を開ける。深夜の娯楽室にお菓子を消費する音のみが鳴り響く。 
 裕太は木更津淳のことをよく知らない。聖ルドルフに転入してから数ヶ月が経っているが、気づけば木更津とまともに会話した回数はあまりないかもしれない。裕太はどちらかといえば積極的に人に話しかける方では無かったし、木更津もそうだ。柳沢や野村がわいわいと盛り上がっているところを一歩引いたところでくすくすと笑いながら見ているイメージが強い。
 テニスのプレーでは積極的に攻めはするものの冷静さは欠かないという印象を受ける。相手が気を抜いた瞬間に一気に攻めてきたり、空いた空間に上手く打ち込んだりと観察力の高いクレバーな選手だと思う。あと特徴的なことといえばテニスをする時に必ず着ける白いグローブと赤いハチマキ。グローブは聖ルドルフに来るずっと昔から愛用しているとのことだったが、赤いハチマキは聖ルドルフに来てからだ。何でも観月が淳のことを兄の亮と間違えてスカウトしてしまったことが原因らしく、2人を見分けられるようにと観月の命令で長かった髪を切り、赤いハチマキをつけるようになったのだという。考えてみれば人権を無視した酷い話である。いくらテニス部で絶対的な権力をふるう観月といえど個人の髪を切らせるというのはいかがなものだろうか。ましてや落ち度があるのは木更津淳の方ではなく完璧に観月の方である。観月を慕う裕太ではあったが、髪のことまでとやかく言われると少し辟易するかもしれない。 
 そしてこの話の中で1番重要なポイントは「兄と間違われて」スカウトされたという点だ。兄の周助と常日頃から比較されてきた裕太がもしこのようなことをされたら怒り狂うだろう。いや、裕太でなくとも怒り狂う筈だ。必要とされて来たはずだったのに、「間違えましたすみません」とは何とも酷い話である。 
 そういえばこの話は人づてに聞いたので木更津本人から聞いたのではないことに気づく。裕太はこの話を聞いてから密かに木更津について興味を持っていた。裕太と同じく、優秀な兄を持つ弟という立場の木更津の気持ちを聞いてみたかった。しかしいかんせんデリケートな事柄であるし、相手は先輩だし、第一今までしっかりと喋る機会も無かった。もしかしたら今、とてつもなく良いタイミングなのではないだろうか。 
 隣でお菓子をもぐもぐと食べている木更津に、裕太はそっと喋りかけてみる。 
「あの、木更津先輩。ちょっと聞いてみたいことがあるんですけど」 
「ん、何?」 
「嫌だったらハッキリ嫌だって言ってくださいね。木更津先輩って観月さんにお兄さんの方と間違えられてスカウトされたじゃないですか。その時ってどんな気持ちだったんですか?」 
 お菓子を食べる手をとめて、うーん、と唸りながら天井を見上げる。 
「そうだなあ……間違えられちゃったかー、って感じかな」 
 あまりの軽い返答に戸惑う。間違えられちゃったかー……ですか。と言うと、うん、と返事が返ってくる。 
「僕と亮って他人から見ると本当にそっくりだし、昔からよく間違えられるんだよね。僕達はそれを嫌がるどころかむしろ自分達から同じ帽子被って同じ髪型にして他人をからかうネタに使ってたし」 
 だからなんというかまあ、間違えてスカウトされた原因は僕達にもあるっちゃああるんだよね。 
 ゆっくりとお菓子のカスがついた手をティッシュで綺麗にしながら言う。裕太は呆気にとられてただ木更津を見る。 
「でも本当は兄の方が欲しかったってことですよね。それに腹は立たなかったんですか」 
 口に出してしまった、と思った。いくらなんでもこの聞き方は直接的すぎるし、先輩を卑下するかのような言い方になってしまっていることに気が付いたがもう遅い。固まったまま木更津の様子を伺うと、彼は怒るでもなく不機嫌になるでもなく、綺麗になった手を口元に当ててくすくすと笑っていた。 
「そうか、裕太が本当に聞きたかったのはそこだね?」 
「いや、あの、えっと、その」 
 もごもごと口ごもる裕太に木更津はまたくすくすと笑った。人間観察の上手いこの先輩にはすべてお見通しらしい。 
「間違えたといっても、観月はその目で僕のプレーや練習を見てスカウトしてくれたということだろう?落胆の表情に少しは頭にきたけどプレーで見返せばいいと思ったし…それにルドルフに来た時点で僕の退路は断たれていたようなものだし。」
 帰ってスカウトは間違いでしたと言うなんて男のプライドが許さないよね、と遠くを眺めるかのように目を細める。その当時のことを思い出しているのだろうか。 
 確かに木更津の言うことは最もだ。最もではあるが、裕太がもし木更津の立場であったらどうだろう。兄の不二周助をスカウトしたかったのに、間違えて自分をスカウトしてしまったと発覚したら。そう考えただけで頭に血が上る。絶対その場で先輩を殴ってしまうだろう。そしてこんな学校でテニスなんてやってられるかという気持ちとしかし今更青学にも戻れない、戻りたくないという気持ちのせめぎ合いで荒れてしまっただろう。そんなのは絶対御免だ。 
「俺だったら我慢できない、って思ってるでしょ」 
 顔に出てるよ、と笑いながら言われて慌てる。 
「木更津先輩って凄いんですね」 
 素直に思ったことを口にする。木更津は一瞬驚いたような顔をし、そして自嘲するかのように乾いた笑いをした。褒めても何もでないよ、と言われたが本当に裕太はそう思った。 
 木更津がスカウトされてやってきたのは裕太と同じ中学2年生のときだ。「ちょっと頭にきた程度」とは言っているが実際そんなものではなかったのだろう。裕太が想像したものよりももっとたくさんのせめぎ合いがあったはずだ。自分の中でのせめぎ合い、観月とのせめぎ合い、他の補強組とのせめぎ合い、生え抜き組とのせめぎ合い、その他のテニス部員とのせめぎ合い。その中を生き抜いて今このように笑っていられるのだ。本当に強いし、凄いし、尊敬してしまう。 
「俺も頑張んなきゃな」 
 長いため息をつきながら天井を見上げる。自然と言葉がぽろりと出た。 
「来年こそは全国、ってね。僕も高校で全国行くために練習続けるから、そのついででしっかりとしごいてあげるよ。覚悟してね」 
「勘弁してくださいよー!」 
 あはは、と笑い声が娯楽室にこだまする。 
 ああ、やっぱりルドルフに来てよかったなあ、となぜかしんみり思ってしまった。 

 その後も2人で談笑しながらお菓子を食べ、ふと時計を見るとその針は3時半を指していた。そろそろ寝ようかな、と木更津が言ったので裕太もそれに倣う。 
 娯楽室からは木更津の部屋の方が近い。じゃあお先に、と言う木更津におやすみなさい、と返事を返す。明日は土曜で学校は休みだがテニス部の練習はある。自分も早く寝なくては、と自室へ向かう足をはやめる。が、木更津の言葉に裕太の足はぴたりと止まった。 

「ねえ裕太、僕思ったんだけど、君のお兄さんへの意識のしすぎはもはやブラコンだと思うよ」 
「ッ、」 

 バッと木更津の方を振り返ると既にドアは閉まっており、中から微かにくすくすくす、という特徴的な笑い声が聞こえた。
 前言撤回!木更津淳は後輩をからかって楽しむただの意地悪な先輩だ!

 

(2012.09.09)