お姫様、女王様になる

サイト及びpixiv再録。

 

 

 春、青学テニス部にお姫様がやってきた。 
 彼女の名前は越前リョーマ。お姫様というには少し勇ましすぎる名前ではあるが、肩下まである長いつやつやとした黒髪を揺らす、とても可愛らしい少女だと不二周助は思った。 
 竜崎先生から今年は有望な1年生が入ってくるということを聞いていたが、まさかそれが少女だとは思うだろうか。普段から落ち着いていると表される自分でもこの事態には思わず開眼してしまった。自分だけではなく、他の部員もあまりの驚きと好奇心で、初対面にも関わらずしげしげと彼女を眺めていたら、不機嫌そうに、見ないでくださいと言われてしまった。その後、彼女が男子テニス部に入部するまでの経緯を竜崎先生から聞いた。成る程、実力はかなりのものらしい。しかしそれでも性別の差というものはそう容易く越えられる壁ではない。実際彼女の身長は150cmもないだろう。中学生男子どころか女子の平均よりも低い。彼女の実績を耳にしても、男子テニス部でやっていけるとは到底思えなかった。 
「皆不満そうだねえ」 
「不満というか……彼女は同年代の同性と比べても小柄ですし、いくら実績があるとはいえ、男子相手では辛いのではないかと」 
 さすが大石とでもいうべきか、部員全員が感じてるであろうことを的確にまとめて発言してくれた。 
「試してみますか?」 
 はっきりとしたメゾソプラノが動揺している男子テニス部の空気を切り裂いた。まだ日本語になれていないのか、少したどたどしかったけれども、その言葉はしっかりと響いた。 
「俺が男子相手でもちゃんとプレーできるってことを証明したらいいんすよね?ハンデ無しで誰かやりましょーよ。いいっすよね、竜崎センセー」 
 彼女は挑戦的な目を竜崎先生に向ける。頼もしそうに竜崎先生は笑って、彼女の対戦相手に、現レギュラーに次ぐ実力を持つ荒井を指名した。 
「青学男子テニス部は女子が来るとこじゃねぇってことを教えてやるよ」 
「よろしくお願いしマス、センパイ?」 
 年下の女の子に挑発する荒井はかなり大人げないが、彼女はそれに気分を害したようには見えなかった。むしろ楽しそうに笑って挑発仕返していた。 
(この子、強いな) 
 コートに颯爽と入っていく彼女の後ろ姿を目にしながら何となくそんなことを思った。その感想は全く外れていなかったことは後から明らかとなり、この日行われたゲームの結果は言わずもがなである。 


 あの日のゲーム以来、部員は皆彼女に一目置くようになった。 
 一応女子だからということでマネージャーとしての入部となったが、彼女をそのように扱う部員はただ一人としていなかった。 
 青学男子テニス部の母、大石は男子の中で一人だけ女子が混じることに心配を抱いているらしかったが、その心配は杞憂に終わった。元々彼女が女子らしからぬサバサバとした性格で桃や英二をはじめとしたレギュラー陣とどんどん打ち解けていった。タカさんは、生まれ育ちがアメリカだからなのか素直に喋ってくれる彼女には他の女子みたいに気をつかって喋らないですむ、と言っていた。確かにテニスの強さだけではなく、彼女のそういったところが皆を惹きつけているのかもしれない。ちょっと生意気で、だけどそこもかわいくてほっとけない、目が離せない。そんな妹のような存在だった。 
 しかし他の女の子にとっては彼女のそのような点がたいそうお気に召さなかったらしい。彼女は2、3年の女生徒から嫌がらせを受けているらしかった。らしかった、と伝聞系なのはその事実が英二から伝え聞いたものだったからだ。女子のいじめとは陰湿なもので、「何だか最近おチビの様子が変なんだにゃー。嫌がらせを受けているみたいだにゃ。」という英二の言葉を聞くまで全く気がつくことはなかった。 
 その日の昼休み、手塚による緊急レギュラー会議が屋上で行われた。もちろん話題になっている当の彼女は抜きで。 
「早速本題に入る。菊丸、詳しいことを話してくれ」 
「了解だにゃー!」 
 英二の話によると、彼女の異変に気がついたのは1週間前のことだったという。廊下で彼女の姿を見かけたときに、彼女は上履きではなく来客用のスリッパを履いていたらしい。その日の放課後にまた彼女を見かけたときは上履きに戻っていたのでそこまで気に留めはしいなかったが、次の日も来客用のスリッパを履いていたのを見かけたのだという。それだけではなく部活直前であるにも関わらず、彼女のレギュラーユニフォームがびしょ濡れだったという。 
「おチビは、体育着を忘れたから授業の時代用して汗で濡れたとか言ってたけど、あのおチビが体育ぐらいの運動であんなに汗かくわけないしー」 
 それに汗のにおいなんかしなかったよーむしろいいにおいだったにゃー! 
 にひひ、と笑う英二。その笑顔にそこはかとなく下心を感じるのは自分だけだろうか。やはり英二も中学生、お年頃の男子なのだ。大石はいつもスキンシップが激しいと注意していたが、今回ばかりはそれがよかったみたいだ。 
 その後英二はより注意して彼女を観察するようにしたという。すると、目についたり誰がやったかすぐにわかるような嫌がらせはなかったらしいが、彼女のものが一時的に無くなったり濡れていたりすることが多々あり、そこで英二は嫌がらせを確信して、自分たちにそれを伝えたという。 
「たぶん結構前から嫌がらせ受けてたんじゃないかにゃ?もう慣れました~って感じの反応してたし」 
 大石がその言葉に頷く。 
「わかる気もするなあ。英二の話からするとものが無くなるといっても時間が経てば戻ってきたんだろう?犯人がわかるようにあからさまなことをやらなかったり、物を破損させない辺り犯人はあまり大事にはしたくないみたいだし。そこまで大きな害はないと越前も考えたからほっといているんだろう」 
「越前らしいッスね!」 
「いずれにせよ、嫌がらせが深刻な状態にならない限り俺たちが口を出すべきではないだろう」 
 手塚の言葉で緊急会議はまとまり、他レギュラー陣は彼女自身のことについて盛り上がっている。猫が好きらしいとか竜崎先生の孫が彼女に好意を抱いているらしいだとか。 
 皆危機感がないな。レギュラー陣の会話には加わらず、そっと彼女のことに思いを馳せる。 
 不二は知っていた。 
 嫌がらせをしている側が1番気にくわないのは、されている行為を何とも思わないことだ。彼女の態度は嫌がらせに拍車をかけるものでしかない。自分も昔からよく嫌がらせを受けていたからよくわかる。特に女子は加減を知らない。多分団体で行動していることが感覚を麻痺させてしまうのだ。 
 彼女はテニスが強いし、何より自分にとってはかわいい後輩だ。変なことにならなければいいけれど。 
 そんなことを考えた矢先に『変なこと』を目にしてしまうのだから、全く、神様というものは性格が悪い。 
「ねえ、あれ越前じゃない」 
 あれ、と自分が言った方向に皆が目を向ける。 
 我らがお姫様、越前リョーマと見知った3年女性徒が数人。3年女子が彼女を取り囲む形で、誰の目から見ても穏やかではない状況だと言える。他のレギュラー陣がはっと息を呑む中で、自分だけは冷静に彼女たちを見つめた。 
「にゃーんかヤバそうな雰囲気だにゃ~……」 
「ここからでは何を喋っているかわからないな」 
 それもそうだ。彼女たちがいる場所は地上で、自分たちがいる場所は屋上。かなり距離が離れていて、彼女たちの表情程度しか確認できない。だが自分にとってそんなことは問題ではない。口の動きさえわかれば何を言っているかぐらいわかる。小学生の時に暇つぶし目的で読唇術を覚えていて良かった。 
アメリカ帰りだとかテニスが上手いんだとか知らないけど、男子テニス部に入部して!しかもレギュラー入りですって?アンタの父親、竜崎先生の教え子らしいじゃない。そのコネでも使ったんじゃないの、レギュラー陣にちやほやされるために!」 
「ちょっと痛い目見れば反省するかと思えば全然そんなことないし。アンタ1年のくせに生意気なのよ」 
 3年女子たちは感情をむき出しにして彼女にい詰め寄る。その様はぎゃあぎゃあといったような擬音語が似合う。被害に合っている彼女はというと、そんな罵詈雑言もどこ吹く風でいつもと様子が全く変わらない。むしろ相手を値踏みするかのような、挑発した目で見返している。この場で、彼女の少しつり上がった可愛らしい猫目は相手を逆上させるには十分だ。 
「ッ……!何とか言いなさいよ!」 
「何とか」 
「ハァ!?アンタなめてんの!?」 
「何も舐めてないっすけど」 
「年上を馬鹿にするのもいい加減にしなさいよ!」 
 思わず笑ってしまうやりとりだ。読唇術だけで実際の声が聞こえないのが残念なほど可笑しい。彼女はきっと興奮する3年女子とは正反対にいつものローテンションで言葉を返しているのだろう。その声が容易に想像できてしまってさらに笑ってしまう。彼女らの会話の内容が全くわからない英二には「何笑ってんの!」と怒られてしまった。 
「ねえ、何勘違いしてんのか知らないっすけど、俺、レギュラーの人たちに関してはテニス以外で何の興味も持ってませんから」 
「そんなの信じられないわ!もう既にレギュラーの人たちからちやほやされていい気になってるじゃない!」 
 確かに彼女以外のレギュラー陣は彼女を猫可愛がりしている。堅物だと言われて手塚でさえ、傍目からわかりにくいではあるがかなり気にしている。しかしそれは彼女が女の子で見目麗しいからという理由ではない。テニスが上手くて、一見クールで大人びているように見えるけれども、負けず嫌いで、案外考えていることが表情に出てしまうところが可愛い。自分の気持ちに素直で周りのことなど気にとめない危うさも相まって、彼女をほっとけないのだ。それが他人の嫉妬を煽る結果になることなど容易に想像できたのに。 
 彼女をとりまく剣呑な雰囲気から、そろそろ助け船を出したほうがいいかと考える。しかしここで不二が彼女を庇えば火に油を注いでしまうことになるだろう。 
 どう対処したものかと悩んでいると、今まで受動的にしか返事をしなかった彼女が3年女子の1人へ質問する。 
「じゃあ、オネーサン達はそんな俺が気に入らなくて嫌がらせをしてたってワケ?」 
「そうよ!」 
「フーン」 
「何よ!」 
 彼女に掴みかからんばかりの勢いで言葉を返す相手に、彼女はさらに煽るようにニヤリと笑みを返す。 
「コレ、なーんだ」 
 ずっと後ろ手にしていた手を前に出して、顔の横に何かをちらつかせる。遠すぎてそれが何であるかは確認できなかったが、相手はそれを見るなりさっと顔色を変えた。 
「オネーサンたちとの会話、最初から録音させていただきマシタ。」 
 彼女の言葉から察するにそれはICレコーダーか、もしくはそのような機能を搭載した何かなのだろう。 
「何よソレ!」 
「そんなの卑怯じゃない!」 
「卑怯っていわれても。これ、自分を守るための方法っすよ。流石にこの後もずっと嫌がらせ続けられたら困りますし」 
「でも物的証拠が何もないじゃない」 
「オネーサンたちの口からほぼ事実を認めるようなこと言ってるし、何よりクラスメイトは俺が嫌がらせを受けていること知ってます。嫌がらせの内容と日付も細かく記録してますから、結構信憑性高くなるんじゃないっすかね」 
 彼女の口からすらすらと流れ出てくる言葉に、相手はさらに青褪めていった。 
「これ以上俺に何かするっていうんなら、こっちもそれなりの対応させてもらいますけど、どーします?」 
 にっこり、とイイ笑顔をする彼女をかわいいなあと思う自分は親バカならぬ先輩バカなのだろうか。もしもの時に備えて用意周到にものごとを押し進めていくその様は、かわいい、というより末恐ろしい。実際にその餌食にあっている相手の女子達は彼女のことをそう思っているだろう。 
 3年女子は彼女から逃げるようにそそくさと去っていった。 
 会話も表情もほとんどわからず戸惑っていた他のレギュラー陣は、事態がなんとか収まったらしいということだけ察知し、安堵のため息を吐いていた。 
「あっ、おチビがこっち見てるよ!おーい、おっチビー!」 
 英二の言葉に下を向くと、彼女がこちらを見上げていた。その目に不満そうな色はなく、ただ「女子同士のケンカ盗み見るなんて趣味悪いっすね。先輩方!」とからかうように返事をした。 
 越前リョーマ。青学のスーパールーキーであるかわいらしい少女。後輩である彼女は性別も違うことから、他の後輩よりも気をつけて面倒みてあげなくてはと思っていた。事実彼女のことは部活時間内外関わらず気にしていた、が。 
「あれはお姫様っていうより、女王様っていう表現の方が合ってるよね」 
「何のことだ」 
 ぼそりと呟いた不二の言葉に、すぐ側にいた手塚が反応するが、すぐに何でもないよと微笑を返す。 
 テニス以外でみる彼女のしたたかさ。今まで持っていた認識を少し改めないといけないな、と心の中でつぶやく。 
 まあそれでも不二の中で彼女はかわいいお姫様に変わりはないのだけれど。

 

 

後日談


「オハヨーゴザイマース。」 
「お、越前!今日は珍しく時間通りじゃ、ねー、か……」 
 朝練に遅れることなくやってきたリョーマへ一番に絡みに行った桃城の言葉が不自然に途切れてゆく。それを近くにいた他レギュラー陣は不審に思って二人がいる方へ振り返る。 
「桃ー?一体どうしたんだ、にゃ……」 
 二人に近づいていく菊丸を皮切りに皆、ぞろぞろとそちらの方へ集まっていく。そして桃城の陰にいる彼女を覗き込み、皆一様にして息を飲む。 
「越前、君、それ、どうしたの」 
「それって……これのことっすか?」 
 呆然とリョーマに問う不二に、彼女は軽く自分の髪をさわった。昨日までは肩下まであったうつくしい艶やかな黒髪が、うなじにかかるかどうか位のさらさらとしたショートヘアーになっていた。 
 わなわなと震え出す青学レギュラー陣。 
「レギュラー陣、全員部室に集合!」 
 手塚の声が青学テニスコートに響きわたる。第二回青学レギュラー陣によるお姫様のための緊急会議が決定した瞬間である。 


「まずは越前、髪を切った経緯について詳しく聞こうか」 
「いじめなのか!?越前、いじめられているのか!?」 
「大石落ち着け。越前が喋れないだろう」 
 乾がリョーマを促すも、大石が矢継ぎ早に質問を浴びせ、手塚がそれを制止しながら目線で彼女に喋るよう促す。それに対しリョーマはうんざりとしたように深いため息を吐く。 
「別に何もないっすよ。テニスするには少し長すぎる髪だと思っていたから切っただけっす」 
「本当にそれだけ?」 
 不二の刺さるような視線にリョーマは少し口ごもり、それからしぶしぶと口を開く。 
「この前先輩達も見たっすよね、俺が女子の先輩にいちゃもんつけられてたの」 
「ああ、あれ」 
「これからもああいうことあったらメンドクサイんで、女っぽくしてなければまだマシになるかなーと思ったんす」 
 別段何でもないことかのように答えるお姫様に青学レギュラー陣は一斉にため息をつき、肩を落とす。そんな先輩達の反応に、「…そんなにショートヘアー、似合わないっすか…?」と的外れなことをつぶやく。 
 このお姫様はテニス以外のことに関してはことさら無頓着の嫌いがある。対不動峰の伊武戦でも左目の上をぱっくり切ったときだって、怪我の心配などせずに試合を続行した。目の近くの怪我ということで普通の怪我より血も多く出ていたし、第一リョーマは女の子である。将来顔に傷が残ったらと思うとぞっとする。 
 リョーマに切々と女性としての自覚を持つよう語る大石をよそに、その他青学レギュラー陣はこの危なっかしいお姫様を守らなくては、と団結力をさらに強くした。 

 

(2012.12.28)